戦争の定義、それから戦争にかかるコストっていうの定式化して、そこからどのような条件で平和解決が達成可能なのかという議論をしてきました。
この平和条件の解決を考えていくと実は、戦争がなぜ起こるのかというその根本的なパズルを考えていく上で非常に重要な示唆をえられるということが見えてくるんです。まずはここまでの確認です。
国際紛争において戦争を回避するためにに得ることができる平和解決の存在というのは、どういう条件で決まってくるのかというとそれは外交による妥結が外交を通しての妥結が双方にとって、つまりS1とS2の双方にとって戦争よりも合理的な場合であると言うことなんです。
ただここで、一点注釈なんですけど、ここで合理的っていうのは正しいって意味でもなく、望ましいって意味でも基本的にないんです。ただ単にそれぞれの国家S1とS2にとって彼らのインセンティブや選好に合致しているという程度の意味でしかないです。言ってみれば、例えば100円と10円という選択があったときに100円を選択しようと、それを持って合理的とここでは言ってるわけですよね。
このような単純な論理だけでいえてくるのが戦争を回避するための国際紛争の平和的な解決のための範囲は何かということが、ここで定式化されました。じゃあ問題は戦争解決のための戦争を回避するための平和解が存在する条件は何かということなんです。
実は答えは非常に簡単でして、これっていうのは戦争の定義、つまり戦争っていうのは他の手段をもってしての政治過程の、通常の政治過程の延長であると、さらに戦争というのは通常の政治過程と比較して非常にコストのかかることであるとそれを考えるのであればその定義に従えば平和の解はいかなる国際紛争においても常に原則的には存在するということなんですね。
これ非常に重要な結果でして、なんでかっていうと考えてみればやっぱり戦争を他の政治行為と峻別する特徴づける事柄は何かというと非常にコストが高いことなんです。それというのは少し専門的な経済学でも使われる専門的の言葉を使うとそれは事後的にパレート非最適であると、つまり後から考えてみればなんでこんなことをしてしまったのかという意味で誰にとっても損つまりほかにもっと良く状況を改善する望ましい手段があったのにという後悔するって意味での事後的にパレート非最適な状況っていうのがやっぱり戦争なんですよ。
で、それっていうのが戦争コストでいうとS1とC2を足し合わせたものつまり双方にとっての損害です。それがゼロには絶対にならないと言うことなんです。つまり少なくともC1あるいはC2のいずれか少なくともゼロ以上である。つまり戦争のコストが少なくともかかりうる限りにおいてはいかなる国際紛争にも原則的には常に平和解っていうのが存在するということをここで示しているわけなんです。
これを考えるときに何が重要なのかということを考えてみるわけなんです。けれどもこの戦争を回避するための平和解決のための必要条件として戦争コストを考えるのであれば考えてみると、もし仮に戦争コストがつまりS1とS2にとっての戦争コスト、C1、C2です、重ね合わせたものがゼロに近づいてしまうと平和解決はあり得ない、存在し得ないってことが言えるわけです。さっきの議論の裏返しなんですけれども、であるなら、もし仮にS1にとっての戦争コストC1あるいはS2にとっての戦争コストC2がゼロに近づけば近づくほど平和解決が不可能に。これがゼロに極限に近づいてしまえば平和解決は不可能になるってことなんで。
つまりどういうことかっていうと、この図を見てもらうと、もし外交によって最終的な戦争の結果ってものを履行できていれば、Pでしたよね実は戦争コストっていうのはこのPとP-C1、この距離が実は第一国のS1にとっての戦争コストなんです。同様にPとP+C2の間ですよね、この差っていうのはC2ですよね。これはC2第二国S2にとっての戦争コストなんです。
その意味で戦争コストが双方にある限りにおいてはこの赤の部分はなくならないということなんです。
つまり専門的に言えば空集合にはならないということなんです。これがもしゼロ戦争コストが双方とも小さくなっていくとどうなるかっていうと、こういう風にどんどん狭まっていく訳ですよね。C1、C2がどんどん小さくなっていくと最終的には平和解決の可能性というのは、ほんの小さな条件でしか起こりえないということになるわけなんです。
これはどういうことかってことですよね。考えてみれば戦争コストっていうのは先ほども話した通り非常に悲惨な結果をまねくとわけです。我々がここで捉える戦争コストっていうのはこういうことなんですよね、つまり考えてC1が、あるいはC2がゼロ以上であるということはどういうことかというとそれは我々政治家もふくめて政策決定者も含まれて平和の尊さ、戦争の悲惨さを我々が理解している限り社会として我々がそれを理解してる限りにおいて、その社会が関わりうる国際紛争においてはつねに平和解決は存在するということを示しているわけです。
我々がここで歴史教育なども重要であり平和教育も重要であるというのは実はこの戦争コストというものを我々が理解していくということに他ならないわけです。ポイントは、これを我々が社会として理解する戦争コストは悲惨なものであると平和は尊いものであるということを理解する限りにおいて平和解決が可能であるということはですねどういうことかというと、これはよく政治家あるいは歴史家もそうなんですけれどもは過去の実際に戦争を起こした人たちがこれは必要な戦争であったっていうことを常々言うわけなんです。
しかし本当に必要な戦争というのはあるんですかという根本の問題です。先ほどの朝鮮戦争の地図も見ました。あれをなんで多大なる人的な被害損害をくわえてまであれを履行する必要があったのかということを事後的にやっぱり分かるわけです。であるならば正しい戦争というのは原理的にはありえないはずなんです。
われわれが平和の尊さ、戦争の悲惨さという意味での戦争のコストを理解する限りにおいては必ず国際紛争における武力衝突は回避できるはずなんです。
ここで、しかしながらやっぱり必要な戦争であった正しい戦争というのは考えてみればそれは政治的な言い訳、政治的なレトリックなんです。ここで我々がなんでこういうことを学問するのかという一つの我々の責務としては彼らのその政治レトリックとしての正戦論、正しい戦争、必要だった戦争というものをそのまま後追いすることではないんです。
そこから一歩ひいて原則的にはこのような解決策ほかの解決策は絶対ありえたということをまずは理解するそしてその理解した上でじゃあなんで実際には現実の政治家たちは戦闘を開始したのか、そしてこのような人々はなぜ苦しむ結果になったのかということを我々が理解するということは後世に生きる我々としての責務であり国際政治学を学ぶ我々国際安全保障論を議論する我々にとっての責任なんです。
これを理解することによって同じような誤ちを繰り返さないということを我々は学問として知識として社会に共有していくとそれが一つの大きな目的であるわけなんです。それを考えるときに重要なのは何かというと戦争のパズルなんです。
戦争は事後的にコストがかかることであるならば双方ともに合意可能な平和解は必ず存在すると言うことです。つまり戦争コストが戦争は事後的に非効率的なものにたらしめ、だからこそ平和の解決は常に可能であるとであるならば効率的な平和解決ではなく非効率な戦争をわざわざ選択した理由は何かということを問うことが戦争の原因のパズルであるんです。
繰り返すとこれは戦争の平和解というのは平和的解決が原則的には可能であるにもかかわらずなぜそれを勝ち取る事に我々は政治として失敗したのかそれを問うことが彼ら苦しんだ人々に対して真実を解き明かすという意味でも重要なことなんです。またそのような間違いをどこかでしているのであればそれを特定することで戦争が何で起きたのかということを理解することにつながりますし、今後の社会の知識として我々はどのように対処していけばいいのかということが理解できるはずである。そのようなパズルっていうのはここから導き出されるこのバーゲニングモデルっていうのは非常にシンプルなものであるとシンプルなんだけれどもこれは非常に論理的に出てくる結果なんです。
シンプルであるってことはどういうことかっていうと様々に実際の事象は異なるかもしれないんだけれども、このような状況というのはどの事象にも当てはまることであるわけですよね。その意味で一般化可能なんです。
そういう意味でわれわれはこのバーゲニングモデルというのが非常に有効であると最後に一点、時間が足りないかもしれないんですけれども指摘しておきたいのが正戦論という話を先ほどしました。
正戦論というのは基本的に正しい戦争、正しくない戦争というものを分けるという特に17世紀から興隆してきた発想なんです。ただこれが第一次世界大戦が始まるまでにおいては、そもそも正しい戦争正しくない戦争というのは区別できないという発想から戦争無差別論になるんです。言い換えればどんな戦争も国家主権の発動であれば正しいのであるという前提なんです。
しかしながら第一次世界大戦第二次世界大戦を乗り越えて我々は第二次世界大戦後における国際法の規範としてどういう進展を見たかというとこれは戦争の間には正しい戦争正しくない戦争というのはないとしかしながらここで、すべての戦争を正しいというわけではなくすべての戦争は正しくない正当ではないというのが基本的な法規であるわけです。それか国連憲章では戦争というものをより飛び越えて武力行使なんです。
武力行使に正当性はないと原則的にまた、それだけではなくて武力をもってする威嚇です。それも正当性は基本的にはないというのが国連憲章で明文化されているんです。そのように考えれば正しい戦争っていうものはありえない正しい武力行使というものはありえないという法規範というのは実はここにある。
バーゲニングモデル、ゲーム論から出てきた論理的な帰結と非常に面白いと整合性があるという点を指摘しておきます。